親について

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気付いたらまーた一ヶ月以上経ってた。つくづく思うけど、環境に慣れるにつれ時間の感じ方がほんとに早くなるな。この一ヶ月の間、大きなところでは親がカナダに来て案内したり、こちらに住むお友達と好きな本を紹介し合う文学の会をやったり、プライドパレードがあったり、職場の人とピクニック行ったり、日本から留学に来ている高校生にトロントを案内したり、飲みにいったり、バイトしたりしていた。日々「あ。」と思うことはあれど、「あ。」と思ってメモして終了、みたいになっていて、どうしても鮮度がね、落ちるよね。まあそれもいいだろう。

 

そう、両親が来た。わたしの両親はどちらも2度くらいしか海外渡航経験がなく、こんな機会もそうそうないし、ということで、わたしがこちらに来る前から「遊びに行くから!」と言っていた。滞在は丸4日+飛行機発着の2日という感じで、トロント3日とナイアガラ周辺1日という、まあちょうど良いステイだった。仲良くしてもらっている夫妻と、うちのホストファミリーに協力してもらって、普通のトロント観光では体験できないことができて、とてもいい4日間になった。

 

わたしと親の関係は、根本的には良好ではあるものの、母親が過干渉で、それに対してずっと止めてくれと言ってきた。今回もうちのホストファミリーと周囲の人にと、文字通り長期旅行用のスーツケースいっぱいにお土産を持ってきた。事前にそんないらないから持ってこないで、と伝えていてこれである。ありがたいものの、こちらの意見を全く聞かない善意の押し売り(自己満足)をありがたい顔して受け取らなくちゃいけないの?なにゆえ?となった。というかそっくりそのまま言った。我ながらひどい。けどわたしがもし同じ状況の子供がいたら同じことを言うので、これはわたしにも適応されて然るべきだ。今回の訪問中も、過度の心配性(の割に肝心なところで正しい選択をできない)母に、苛々というより情けなさを感じてしまった。親のことについて考えると、一番に感謝があるけれど、二番目には受け入れられない性格や考え方の違いが出てきてしまって、やはり無理だな、と思う。でも、久しぶりに会ったらやっぱり歳とってて、父、母…とも思った。

 

人に何かしてあげたい、って基本的にはいいことだと思うけど、相手が何をほんとうに必要としているかを見極めるのは、すごく難しい。うちの親の場合、わたしに何かしてあげたい、という元々の目的はあるけど、それが自分が何かしないと悪い気がする、に変わってしまっている気がして、それをすることで好かれたい(嫌われたくない)というのがあるんだろうなあ、と母や祖母を見ていて思う。母は、祖母のそういうのを受け入れてあげてる人なので、自分もそうしてほしいんだろうけど、いや自分無理っすって感じだ。こういうのがまた母の承認の渇望に繋がるのかもしれないけど、その不安は自分で解消すべきだ。冷たいなあ。でも仕方ない。わたしは全部ひとりぶんだけ背負って生きていきたい。わたしは親のそういうのを許せないけど(そもそも許さないといけないのか?許すってなんだ?)、他のことをいっぱいにして忘れることはできるので、離れて暮らすようになってだいぶ楽になった。それができるような経済的・社会的自立をしているという事実も、わたしを助けた。そんな感じでそろそろ仕事したい。