帰国しました

9月26日に無事一年の留学を終え、日本に戻ってきた。最後の投稿からもう2ヶ月経っていたけど、その間割と充実した生活を送っていた。それについては気が向いたら今後書くかもしれないけど、取り急ぎこの一年の総括をしようと思う。

 

この一年を振り返ると2部構成で、第一部:学校半年、第二部:バイトと遊びの半年という感じだった。学校期間は、今よりももっと英語が理解できない状態から始まって、段々聞き取れるようになり、喋れるようになり、多少難しい単語も覚えて使えるようになり、少しずつ自分の成長を実感しながら英語に慣れていった半年だった。そんな中で知り合ったYちゃんや学校のお友達と、美味しいものを食べに行ったり、ケベックに旅行に行ったり、NYに行ったりして、初めての海外生活を楽しんだ。久しぶりに学校に通って勉強する楽しさを実感したり、無責任な学生という身分を楽しんだりした。一年前は考えてもみなかったいろんな国の友達ができて、その人たちからいろんな文化を学べたのも、今考えるととても貴重な体験だった。

 

そして、わたしにとっての後半の半年は、トロントの気候も相俟ってさらに楽しいものだった。もちろんそれまでも楽しかったし、毎日英語が身になっていく実感を得ることはできたけれど、この2017年の春〜夏にかけては、ほんとうに『人生の夏休み』を満喫しているような日々だった。留学エージェントで再びとても面白いお友達々と出会い、一緒に色々なところに行ったり、たくさん話をしたりした。希望していたLocalのお店ではないものの、英語でお客さんとコミュニケーションをとる仕事をして、カナダの Food cultureの実態を一部学んだ。一応1年間行ったことだしと思って受けたTOEICは、目標の900点には遠く及ばなかったものの、820点という一応履歴書に書けるかな〜、という点数を取れた。これについてはいまだに残念だけど、多分もう受けることはないかな。

 

とにかく、自分で稼いだお金で、誰にはばかることもなく、好きなことだけをして、暮らす。そのことがわたしの精神をとても自由にした。青く広い空と、突き刺す紫外線と、どこまでもドライで気持ちのいい風と、「なんでもアリ」を許してくれるトロントの雰囲気の中で、好きな人たちと遊んだりするのはものすごく楽しかった。気付けばいつの間にか、英語でのコミュニケーションも(日常会話程度なら)まあ問題ない程度になっていて、「英語そんなにできないけど、英語圏でも全然生きていけるじゃん !」という無駄な自信が付いた。あと英語で話しかける(かけられる)ことに全く抵抗がなくなった。いくつになってもできなかったことができるようになるのは嬉しいものだ。

 

当初、当時の情報や感情を残しておこうと思って始めたこのブログも、まあ案の定自分にとって真新しいことが少なくなって来たら書く機会が減ってしまった。けど、やっぱり忘れっぽいわたしにとって、書くことは「自分がこう思っていた」とか、「こんなことがあった」とかいうことをずっと後まで残すのに大切なことなので、今後も、国外逃亡についてではないけれど、何かしら思ったことを気が向いた時に綴ろうかと思う。

 

余談ですが。わたしの父方の祖父はもう認知症で何もわからなくなってしまっているんだけど、祖父の記憶がまだはっきりしていたころに自伝を残していて、それが常軌を逸するレベルで細かく何月何日何があったみたいなことまで書かれていて、この記録癖はもしかしたら遺伝なのかな〜なんて思う。わたしはそこまでではないけど。でもそれが残っているおかげで、戦争中の記録や、遠い親戚のことなども知れたし、祖父がなにもわからなくなってしまっても、書かれたものから祖父の人生や人となりを知ることができるので、やっぱり文章を書いて残すということはすごいことだなあと思う。わたしはわたしが死んだら誰からも忘れられて構わないと思っているけど、わたしが祖父の戦争中の話を読んでそういう時代があったのかと思うように、後世の人が2000年〜2010年代はまだこんな窮屈な考え方が世にはびこっていたのか、とか、思うかもしれない。わたしが今与謝野晶子の『「女らしさ」とは何か』に「100年前も同じじゃねーか!」と驚くように。書いたとしても残らないかもしれないけど、書かなかったら残る可能性は0だ。という訳で、やっぱりあったことを書き残す習慣は続けたい所存。